反町薬師の歴史は「反町館跡」の歴史でもあり、歴史は鎌倉・南北朝時代まで遡ります。
新田義貞が成人後、現在の群馬県太田市別所にあった館が手狭なためと防備のための貯水が必要なことから、地下水が豊富なこの地に平城を構えました。
倒幕の挙兵を決断したのもこの館のそばだったと伝えられています。
その後戦国時代になって三重の堀を巡らす城郭に拡張されたと考えられます。
新田義貞がここに移り住み、その後大館氏明(おおたちうじあき)、新田義興(にったよしあき)、矢内時英(やないときひで)が済んだという伝承もあります。
天正18年(西暦1590年)、豊臣秀吉の北条攻めで廃城したと伝えられます。
正徳4年(西暦1714年)、 館跡の北側約500メートル程にあった照明寺が火災にあった際に反町館跡に移転し、現在に至ると伝えられています。
現存する土塁や、満々と水をたたえた堀は、貴重な歴史遺産として大切に保存されています。